塾長がトライアスロンをやっている理由
塾長が初めてトライアスロンのレースに出たのは、2012年8月、福島県の猪苗代湖と会津若松市で行われたレースでした。その後、2025年9月のレースを含めて14年で15回のレースに出場しました。

2012年8月26日
持久系の運動が大嫌いで、特に走るのが嫌いで、高校のマラソン大会もほとんど歩いていた僕がなぜ40歳を過ぎて、トライアスロンに挑戦しようと思ったのか?
その経緯をお話します。
- トライアスロンとの出会い
僕がトライアスロンの存在を知った、というか意識したのは、知り合いのFacebookの写真でした。プロフィール写真のレース中のバイク(自転車)に乗っている姿がとてもかっこよかったのです。その知り合いとは、東日本大震災後のボランティア活動を岩手県山田町で一緒に行った方でした。広島から来ていた先輩後輩の二人組の男性はともにトライアスロンをやっており、ぜひトライアスロンの世界へ!と誘われました。そして当時、ボランティア時の生存報告のために始めたばかりのFacebookでつながり、僕もプロフィール写真にしたい!と思ったわけです。

- 実際に始めるところまでたどり着けた理由
ところが、2011年3月にそのような出会いがあってから実際に動き出すまでに時間がかかりました。トライアスロンを始めるにしても近くでやっている人はいないし、何から始めればいいのかわからなかったのです。広島の方々からも、応援のメッセージをいただきまして、その後本を買ってネットで色々調べていたら、やはり初めはバイク購入だろうということで、当時住んでいた横浜からはるばる茅ヶ崎市まで行き、トライアスロン界隈で有名な方が勤めている自転車屋さんでトライアスロンバイクなるものを初めて見ました。2012年7月のことです。1年以上時間が経っていました。その自転車屋の店長さんが練習会を開催していて、そこで初めてウエットスーツを着て海で泳ぎました。怖かったですねー。湘南の海岸は水が真っ黒で周りが何も見えず、しかも波が結構あって足が届かず、とても焦った記憶があります。また、真夏の暑い海岸沿いを10キロ走って本当に倒れるかと思いました。でもその後のビールがとてもとても美味しかったことを今でもよく覚えています。結局その自転車屋さん(Y‘sRoad茅ヶ崎店)にてトライアスロンに必要なグッズをすべて購入し、無事福島県のレースに参加することができたのです(一枚目の写真)

- トライアスロンを続けるモチベーション
41歳で始めたトライアスロン、当時はまだ結婚しておらず独り者だったので気ままに練習し、大会に参加していました。人生二度目のトライアスロンは南国パラオまで行きました。2012年人生初の福島のレースの後にもう一度年内にレースに出たい!と思いましたが、申し込めるレースが日本国内ではもうなかったからです。いうまでもなく、パラオのレースは最高でした。そこで日本各地から来ていた日本人トライアスロン仲間も増え、現在もFacebookでつながり、お互いを刺激しあっています。これがまず大きなモチベーションです。皆僕より年上ですが、あちこちのレースに出て完走している姿を見ると、こちらも頑張らなければ、と思います。さらにFacebookを通じて、70歳でトライアスロンを始め、92歳の現時点でも現役でミドル(Swim2Km/Bike100km/Run21km)に出場し完走している稲田弘さんと知り合いました。本当に素晴らしいと思います。ちなみに僕は今までショート(Swim1.5km/Bike40km/Run10km)にしか出場したことはありません。
そしてなんといっても一番のモチベーションは、娘の存在です。
僕は43歳で結婚し、46歳の時に娘を授かりました。現在小学3年生です。少しでも“若いお父さんに見える”ために運動は絶対必要だろう、ということで、日々あまり好きではないランニングをしています。さらにトライアスロンの良いところの一つに、レースの最後に家族と“同伴ゴール”できる、というのがあります。娘と手をつないでゴールする、その最後の瞬間の写真のために、苦しいレースを続けている、というわけです。そしてそれをFacebookに投稿してニヤニヤしている瞬間も幸せなのです。田舎で暮らしている自営業者である僕にとって、FacebookとInstagramというのはとてもありがたい存在です。いろんなことに挑戦し、それを投稿し、友達にいいね、っと言われる。身近に普段よく会う友人があまりいない代わりに、日本国内だけでなく、カナダやアメリカの友人も僕の行動にいいね!してくれる。それがまた次の何かに対するモチベーションになります。かつ、数年たって日記のように懐かしく見返すこともできます。SNSに投稿するために、トライアスロンを続けている、というと言い過ぎですが、田舎のオヤジがどこかでがんばっていることを知ってもらえる仕組みはありがたいなと思います。

2024年8月
そして娘の次にモチベーションになるものは、体と心の健康です。もともと太りやすい体質で、運動しないとすぐ太ってしまいます。しかし走っていると、体も軽く、日々の生活が楽になります。かつ、気持ちも前向きになり、なぜか仕事もうまくいく。これは走らずにはいられない。娘のために若く、というのもありますが、健康に老いていきたい、そのために、なるべく動ける体でいたい。それには全くカネも手間もかけず、家の周りを走るのが一番いい。せっかく走るなら目標があったほうがいい。年に一度か二度のトライアスロンレースはちょうど良い目標になるのです。
- マラソンとトライアスロン
走るのがいいならマラソン大会でいいではないか?そう思ってフルマラソンに4回、ハーフマラソンは10回以上走ってみました。結果、フルマラソンはきつすぎる(6時間走り続けなければならない)し、ハーフマラソンは物足りない(2時間20分ほどで完走) そして走るだけでは飽きる。面白くない。ということで、フルマラソン出場はやめました。ハーフはトライアスロンのための秋冬のトレーニングの意味合いで参加しています。今年も今月秋穂ロードレースにでます(2回目)。走るのはいつになっても嫌いですが、泳ぐのが好きで、バイクも気持ちよいので、トライアスロンがちょうど良いのです。

2022年11月
- トライアスロンと登山と受験勉強
僕が本格的に登山を始めたのは30歳の時、カナダのバンフというところに住んでいて、友人にいきなり標高3000mの山頂に連れていかれたときからです。それまではなぜ苦しい思いをして山登りなんかするのかな?と多くの人と同じように思っていました。しかし頂上に辿りついたときの達成感とそこから見える素晴らしい景色にすっかり魅了され、その後、日本に帰国してからも一人で関東周辺の山へ登山に行きました。

2001年9月15日(同時テロの4日後)
富士山にも2011年と2012年の二度、一人で登りました。3000mを越えてからは足が動かずかなりきつかったです。頂上に到着した時は本当に爽快でした。トライアスロンのレース中とゴールは登山の途中と山頂にとても似ていると思います。途中でやめたくなるキツイ過程を乗り越えると、素晴らしい快感が待っている。だからやめられずまたレースに出る。山に登る。まだまだ繰り返しそうです。

そして受験勉強もまた、その過程は本当に逃げ出したくなるほどしんどい時もありましたが、今でいう、”ZONEに入った”時の集中して勉強していた感覚は今でもよく覚えていますし、合格を勝ち取った時の達成感も、もちろん未だによく覚えています。何事も、集中して頑張れば頑張った分だけ、素晴らしいご褒美が待っていると思っています。
- まとめ
結局、今もトライアスロンを続けている理由は、①若さをたもつために、②レース完走の達成感を味わうために、③その姿を皆に知ってもらいスゴイ!と言われるために、ということのようです。今回改めて自分の考えを整理しながらこの文章を書いてみてよくわかりました。では娘がいなかったら?Facebookがなかったら? それでも達成感(自己満足)のためにやっているでしょう。頑張り続けて結果を出した人のみが知る達成感。これを日々感じるために今までずっと人生がんばってきたのですから、これは一生変わらないと思います。皆様もぜひ、自分に好きな分野、得意な分野で達成感を味わうために、ぜひ努力を続けてください。たとえその過程が苦しいものであっても、ゴールできた時の達成感は何物にも代えられない素晴らしい体験です。一度でも味わえば、何度でも味わいたくなる快感です!





