移民政策の「二枚舌」は限界 日経新聞より
豊かな国の政府は長年、移民管理政策について奇術師のように人の注意をそらす技を使ってきた。もう何十年も前から、米国と西欧(特に英国)は亡命希望者を中心とした、少数の移民集団に関して、見せかけの受け入れ反対姿勢を示してきた。
これは大量の経済移民を静かに受け入れるための隠れみのとなってきた。排外主義的な有権者は原理的に求めているものを手に入れ、人手不足に悩む企業は働き手を確保できた。
この組織的な偽善はこれまで何とか持ちこたえてきたようだ。だが、この二枚舌に対する国民の我慢には限界がきているのかもしれない。
英国、2000年代に「管理された移住」へ転換
オランダ人の社会学者ハイン・デハース氏が移民に関する新著で説明しているように、各国政府は(3つを同時に達成できないという)トリレンマに直面している。経済の開放、外国人の人権尊重、そして自国市民の反移民志向の実現をすべて達成することはできないのだ。
「3つのうち1つをあきらめなければならない」とデハース氏は話す。「政治家にとって最も魅力的な選択肢は、移民政策の本音部分を隠し、移民を取り締まると示す大胆な政治的パフォーマンスをすることだ」
英国は20年以上にわたって、この芸当をこなしてきた。2000年代の初め、移民がすでに増加するなかで、当時のブレア政権は経済成長に対する移住者の貢献をはっきりと認め、移民の純増をゼロにする英国の伝統的なスタンスから「管理された移住」へ転換した。
だが、この方針転換には亡命希望者に対する建前上の取り締まりと国境管理の厳格化が伴った。数週間前に公表された政府の文書は、ブレア政権がスコットランドのマル島か南大西洋の英領フォークランド諸島に難民キャンプを開設すること、そして欧州人権条約を無視する可能性を検討したことを示している。
結局、労働力を必要とする需要と何万人もの亡命希望者の申請書を紛失した英内務省のずさんな官僚主義によって、多くの人が英国にとどまる権利を得ることになった。
こうした形による移住者の定着を、10〜16年に内相を務め、後に首相となった保守党のテリーザ・メイ氏も踏襲した。同氏の内相時代には不法移民の国外退去を求める街宣車がロンドンの街頭を走り回った。
16年の国民投票で英国の欧州連合(EU)離脱を訴えた政治運動は、英国に移住する外国人の権利を制限することに焦点を当てた。19年に首相になったEU離脱派のボリス・ジョンソン氏は、亡命希望者をアフリカのルワンダへ送り込み、現地での定住の可能性も視野に入れるというばかげた計画を立てた。
だが、後に明らかになったように、これもまたまやかしだった。ジョンソン氏は海外留学生と医療従事者向けのビザ(査証)制限を緩和したからだ。人道的な理由から多数のウクライナ人と香港人を受け入れた一時的な影響を考慮に入れたとしても、英国への移住者は増加した。
紛れた不法移民捜索の予算は少なく
同じように、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が襲ってくる前、米国はトランプ政権下で大勢の移住者を受け入れていた。イスラム教国からの移民を阻止し、メキシコとの国境に「美しい壁」を建設するトランプ大統領(当時)の計画にもかかわらずだ。
一方、地域としてEU、そして個別国としてイタリアが17年にリビアと協定を結び、収容者に対する性的暴行や拷問があった難民収容所へ亡命希望者を送り返せるようにした。これは英国やトランプ前大統領が導入したどんな措置よりも格段に忌まわしい政策だった。
それにもかかわらず、15年の難民危機下でのシリアなどからの亡命希望者の急増が落ち着いた後でさえ、EUに流入する移民の数は高水準で推移した。
デハース氏は各国政府が本気でルールに沿っていない移民流入を抑制したいのであれば、国境警備に費やす支出を減らし、労働力に紛れ込んだ不法移民の発見と強制送還に費やす予算を増やすはずだと話す。
厳しい国境政策で悪名高い米移民・関税執行局(ICE)は米国内の国土安全保障関連の捜査に予算の8分の1しか費やしていない。不法移民を雇うことが刑事犯罪になった1986年以降、一般的に訴追件数は年15〜20件しかなく、罰金も583〜4667ドルの微々たる額しか科されていない。欧州でも同様に取り締まりが不十分だ。
だが、一部の有権者と議員はついにトリックに気づいたのだろうか。英国では、保守党出身の首相としてジョンソン氏の政策を受け継いだリシ・スナク氏がとてつもなく非現実的なルワンダ計画を実行に移そうとしたが、徒労となっている。計画の失敗は多くの保守党議員の間で反移民感情をあおった。
英国のEU離脱後、保守党内では企業に優しい穏健な中道右派が失脚し、排外主義的なイデオローグ(理論家)に立ち向かう下院議員がほとんど残っていない。スナク氏はイデオローグを懐柔することを余儀なくされており、経済的に打撃をもたらす対策を導入している。
たとえば、家族ビザ支給の給与基準を引き上げたり、英国が留学生により高等教育でサービス収支が大幅に黒字となっているにもかかわらず、留学生が親族を英国に連れてくることを阻止したりしている。
EUでは、反移民の波に乗って2022年に政権を握ったイタリアの右派ポピュリスト(大衆迎合主義者)のメローニ首相のような指導者は、まだ二枚舌を使っている。メローニ政権は人道支援団体が地中海で移民を救出するのを妨害する一方、EU域外出身の移民向けに50万件近い就労許可証を発行した。
使い古されてもごまかしは続くか
生産性の高い労働者の獲得をめぐる世界的な競争で負けることを恐れるEUも同じように、「人材プール」計画でスキルの高い非EU出身者を呼び込もうとしている。だが、今年の欧州議会選挙に先駆け、熱烈な反移民候補の波が世論調査で上位を占めている。
もし24年の大統領選で再び米国がトランプ政権となった場合、不法移民が米国の血を汚していると言った前大統領の不快な発言は取り締まり強化への期待にもつながるだろう。
特に英国では「難民にタフ、労働者にソフト」というごまかしはおそらくもう通用しなくなっている。観客はトリックを見破り、奇術師にヤジを飛ばしているような状況だ。
だが、有権者に対して正直になった場合、政権は支持を失うリスクがある。各国政府はそんな選択肢を選ぶより、使い古されてきたごまかしをまだ使い続けたほうがいいと考えるかもしれない。
<要約>
欧米先進国では、移民政策の本音部分を隠し、移民の流入を抑制すると示す、見せかけの政治的パフォーマンスを行ってきた。
具体例として、英国では、22年にジョンソン首相が、非正規に同国に入国した人々を含む難民申請者らをルワンダへ移送する計画を発表、その一方で、海外留学生と医療従事者向けのビザ制限を緩和、結果として英国への移住者は増加した。米国では、パンデミック前のトランプ政権下、イスラム教国からの移民を阻止し、メキシコとの国境に壁を建設する計画を打ち出すにもかかわらず、大勢の移民を受け入れていた。イタリア・メローニ政権は、人道支援団体が地中海で移民を救済するのを妨害する一方、EU域外出身の移民向けに50万件近い就労許可証を発行した。また、EUの動きとして、人材プール計画でスキルの高い非EU出身者を呼び込もうとしている。
数十年にわたるこの二枚舌に対する国民の我慢は限界にきているが、各国政府は、経済の開放、外国人の人権尊重、自国市民の反移民志向の実現という3つを同時には達成できないというトリレンマに直面している。